置き去りの愛
もしもあの日に戻れるならば、もう一度やり直せたら。
探していたもの、それが愛だと伝えられるのに・・・。
もう、返らない。
別れた女を歌ったような歌。だが、決裂したわけではなく
本当に愛している人と離れて、ぽっかりと空いた心の虚無を歌っているようだ。
悲しい、暗いメロディーで歌われる、遅すぎた愛の答え。
しかしここで思ったのだが、よく「尾崎の歌は暗い」と言われるが恐らくそういう事を言う人は
ほとんど十代の頃の、しかも有名所の歌しか聞いていないはずだ。
本当にあれらの歌は暗かったか?と思うと、そうではない。
メロディーは明るく騒がしい物が多いし、悲しい歌なんて一つもない。
一般人の言う「暗い」と言うのは「テーマが重い」と言う意味だったようだ。
それに加えて、ロックンロールと出会う前の尾崎豊の音楽と言うのは
メロディだけで相手の情緒に訴えるような、古典的日本の音楽だった。
それがロックの楽しさを覚えて、だんだんそういう方向に進んでいったわけだが
昔の尾崎の歌がよく聞かれて聞きやすいとされているのは
その時の尾崎の心境とか歌詞とかそういうのではなく、最初にイメージとして入るメロディなのではないか。
心に訴えるメロディ。これは、断言して若い頃の尾崎にしかない物だ。
歌詞だけ見てみると、本当に若い頃は若い頃。大人の時は大人のいいものがある。
なのになぜそこまで差が出るのかと疑問に思っていたが、謎が解けたわけだ。
尾崎の昔の歌は、音楽がいい。心を奮い立たせるような音楽だ。
その開けっぴろげになった心に、あんな歌詞を叩き込まれるわけだから
自然と昔の歌の方がいい、となってしまうわけだ。
そう、大人の尾崎の歌は、歌詞を見ないと歌詞の意味がわからない。これは昔と比べて大きな違いだ。
よく聞いてもらえば判ると思う。
そしてこの置き去りの愛は、本当に「暗い歌」だ。
むしろこれくらいしか暗い歌がないんじゃないか?というくらいに。
泣きそうになるまで歌う。