リア充の海王です(挨拶
えーなんていうか前回の日記読んで我ながら引いてるんですけど
がんばって更新していきましょう。はい。
今日僕肉食ってきたんですよ。肉。
肉っても鉄板焼きでして、高校時代の日記にもあるようなちゃんとした肉屋です。
そして食べ終わって帰ってきたのでとりあえず高校時代の僕に言いたい。
あと北斗さんことアミバに言いたい。
あんなもん高校生の食うもんじゃねーよと。
大体高校生が高級料理って!
笑わせるぜ!
「え、なにが?何の話?」とお思いの方もいらっしゃると思いますので
海王流美味しい物の楽しみかた講座を熱読した上で続きを読みなさい(高校のテスト風)
海王流 美味しい物の楽しみかた講座
〜なぜ、人々は争うのか〜
(・ω・)
ようこそいらっしゃいました。
本日は海王流 美味しい物の楽しみかた講座〜なぜ、人々は争うのか〜にお越しいただき
誠にありがとうございます。
わたくし、本日のホールマスターを担当させて頂きます、海王と申します。
なにぶん不慣れな説明でありますので、お客様の中には不愉快に感じられる方もいらっしゃるかと存じますが
何卒最後まで熱読頂きますよう、よろしくお願いいたします。
(・ω・)
美味さとは!?
(・ω・)
皆様、まず始めに知っていただくのは基礎の基礎。美味さとは何か?です。
・・・ああ、
「なにが美味さか。この俺が美味いと感じる物が美味いものに決まっておる!」
と言う声が聞こえて来るようです。
で す が
それは大きな間違いなのです。本物の美味さとは、そのように稚拙で単純な物では決して有り得ません。
人の三大欲求と言われる食欲を、その感性のままに満足させる事も時には必要でありましょう。
しかし、我々が目指すのは人類の果て。そして人類の始まりである美味さの根源なのです。
そしてついに、化学、天文学、数学、人体工学、統計学、深層心理学・・・ありとあらゆる分野の専門家の意見をまとめ
世界各国の食文化、歴史、宗教、社会体系等々
それら食への影響を考える上で欠かせない要素を織り交ぜ、
この人類史上最大のテーマと言える問題に対し、決定的な数式を導き出すに至りました。
この答えが、こちらです。
美味さ=味−値段(うまさいこーるあじまいなすねだん)
ご理解頂けたでしょうか。
(・ω・)
美味さと成すもの
(・ω・)
さて、美味さの定義を人類が手にした瞬間に立ち会えた気分はどうでしょうか?
・・・いえいえ、結構です。わたくしには手に取るように判ります。
あなたの感動。感激。そして理不尽にもやもやする感じ。
まずはご説明が必要かと思います。
上記の数式で表現されている所の「美味さ」とは勿論、ヒトが何かを口にした時感じる幸福感、満足感、安心感・・・
言い方に関して羅列していけばいくらでも出来るかと思いますが、
ここはシンプルに「うめー」と感じる度合い、と捉えて頂いて結構です。
そして、次に「味」とは、その料理そのものが元来持つ旨みを指します。
「美味さ」と似ているようで違うのは、そこには食べる側の人間は存在せず、かと言って食べられる事がないと言う事もなく
確実に食べられる物でありながら誰もその真に持つ味身を理解出来ないジレンマと同義であると言えるでしょう。
ヒトが一度口に入れてしまったものの評価は「美味さ」でしか語ることは出来ないのです。
そして最後に「値段」と表記した物ですが、これは一概に金銭価値を指しているものではありません。
どちらかと言うと、それに対する人間の心理がより近く
更に言えば、「代償」と置き換える事が出来ます。
その料理を口にする為、ヒトが払うべき「代償」
美味しい物を外食で済ませる場合、ヒトには様々な「代償」が付きまといます。
金、時間、テーブルマナーの拾得の有無・・・勿論移動時間、交通費等もそれらに含まれます。
これで、もうお分かり頂けたかと思いますが、最後に一度、上記の難解且つ美しい数式を文章に置き換えて
判りやすくご説明いたしましょう。
つまり、美味さとは
如何に手間をかけずめんどくさくなく、ストレスの無い状態で
どれほど旨い物を食べられるか
と言う事になるわけです。
勿論ここにおいでになったお客様の中にも、経験がおありだろうと思います。
ふと思い立って立ち寄ったマクドナルドのポテトの美味しさを。
普段余り接点のない親戚のおごりで食べに行った料亭の米の不味さを。
つまりそういう事なのです。
逆に考えてみてください。
何気なく食べたポテトが高級料亭の値段だったら・・・?
親戚に奢って貰った懐石料理が200円だったら・・・?
どうでしょう。あなたの中での価値が一変したはずです。
料理そのものの持つ「味」
それを口にする時の貴方にしがらみの様にまとわり付く「代償」
その二つの鬩ぎ合いの果て、我々人類は「美味さ」と出会えるのです。
そう、つまり何もしなくても、何も要求しなくても、何も代償を払わずに手に出来る料理。
おふくろの味の謎は、長い長い年月を経て、ついにここで解明の日を見たのです。
・・・しかし、美味さにはそれだけでは表現出来ないもう一つのステージが存在するのです。
それを我々では、畏怖と尊影の意味を込めてこう呼びます。
「あれは美味すぎる」
と。
(・ω・)
味を超えるもの
(・ω・)
味を超えるもの・・・それらは確かに存在するのです。
向かいのホーム 路地裏の窓 そんなとこにいるはずもないのに。
口では説明できない。
頭では理解できない。
しかし、体が、心が叫んでいる。
美味いと。
・・・そのような経験がない方はあまりいらっしゃらないかも知れません。
はい、ご想像のとおり、意外と身近な所にそれらは普段身を隠しているのです。
しかし探そうと思って探せるものではありません。
なぜならば、自分自身のコンディションと、料理そのもののコンディションが噛みあっていなければ
決して生まれない奇跡の産物だからです。
美味しい物の楽しみ方講座の最後にこのような形で別れを迎えなければならない事は残念でなりません。
しかし、忘れないで欲しい。
我々が見た希望の光を。
そしてあなたに託された使命を。
どうか絶やさずに。
Good by...
(・ω・)
全然楽しみ方判らなかったね!
すごいね!
でも僕の言いたいこと大体判って頂けたと思うんですよ。
つまり鉄板焼きうますぎるって事なんですよ。
贅沢が楽しいのは社会人になってからなんですよ。
ご清聴、ありがとうございました。