―――目が、覚めた。
時刻は・・・朝の五時半。寝起きにしては妙にクリアな思考が、頭の中で舌打ちする。
本来ならば五時に起きる予定でいて、その後家を出るまでのスケジュールも頭の中にあったのだ。
が、それとは裏腹に深夜遅くまで起きていた結果が、この寝坊だ。
と言っても、決定的じゃないだけまだましか。
そんな事をつらつらと頭の中で文章にしていくうち、唐突に眠りたくなった。
視界も良好。頭も冴え渡っていて眠気もない。空腹でもあるし歯も磨きたかった。
だが、そんな表面上のコンディションなどは全く無視して、根拠もへったくれもない衝動が、僕を眠らせた。
目を開けると、時刻は五時三十五分。本来ならばさっさと用意を済ませてくつろいでいるはずの時間。
今度は、特に何を考えるでもなく、素直にアラームを五時四十分にセットしてまた目を瞑った。
穏やかな音に目を開けると、時刻は五時四十分。この時間から用意を始めては予定が完全に破綻する。
そう、思ったのだが、いつもとは違うアプローチ、つまり先に着替えてそこから階下に向かい
その後食事をして身だしなみを整えれば、とりあえず完全な形で間に合うという事に気づいた。
気づいた後は早かった。最初から眠くもなかった躰と心はばっと跳ね起きて、用意を始める。
いつも、こうすれば良かったのだ。と、着替えながらにして思う。
そして着替えながらも、何故自分はこんな事を淡々と、誰に聞かせるでもなく
頭の中で文章を組み立てながら過ごしているのだろう。と、思う。
とそこまで文章にしてみて、日記にでも考えたままを書けば、まぁ面白くはないけれど、いいか。
そんな事を考えながら、僕は朝食を択ぶ時間はないから、迷ってはいけない。
少しでも時間を短縮できる選択をするしか自分にはないのだろう、等と
そんなどうでもいい事まで文章にしながら階段を下っていった。
日曜日にしてみれば、驚くほど寝起きのいい朝だった。
連続ネット小説 海王記
●この物語はフィクションであり実在のいかなる
団体・個人とも一切関係ありません。
「おはよう」
と、どうしてそんな基本的な挨拶をする習慣が人間にはあるのか、言いながら考えた。古くからある伝統と言うものは、得てして非科学的で冷静に考えれば無用な物である場合が少なくない。
しかし、そういった物の中には確実に現代では測りえない何かが存在していて、古人のそれはそういった非科学的な物を観測する術が確かにあったのだ。
それが自分達の力で得、また失った物なのか、それとも現代科学を以ってしても辿りつけない境地から授かった知恵なのかどうかは、わからない。ただ事実があるだけである。
それにしても、挨拶と言うヤツは良く出来ている。
少し焦げたパンをかじりながらテレビ画面を凝視している。正確には、その左上に小さく表示されている時刻だけを、だ。
パンは憎たらしい程に熱くてとてもパクパクと口に運べない。にも関わらず中身のチーズは全く冷え切っていると言うのだから、僕はどうしようもない怒りを顎に込めるしかなかった。それも、酷く小さくかじり取られた破片たちに向けてしか行えない報復の為、余計に苛立たしさを強調させる。
テレビ画面の表示はそろそろ家を出なければならない時刻が差し迫っている事を教えた。
僕はパンの最後のほう、崩れそうなほどチリチリと熱くなってチーズも届かない尻尾の部分をポイと口に投げ込み、急いでコーヒーでの消火活動に専念した。
食器を台所に運びながらに、思う。
自分はこんな事をやっているはずじゃないのに、何故こんな事をやっているのだろうか?
それは当たり前のような自問だった。しかし、その答えはまた自分にしかわからないのだろうし、誰も教えてはくれない。空虚になった瞳の前で食器達が水を浴びて喜んでいるようだった。
僕はそこから逃げ出すようにして、現実だけを見ようと頭を切り替える。
父と母と、必要最低限の挨拶と予定の確認だけし合って、僕は家を出た。今自分の中に吸い込まれそうになった自分は暫く他人と関われないだろうし、何より時間が押してきているせいだ。
行ってきます、と。最早何回繰り返されたのか、もし今まで数えていたとしたら中々愉快な結果になったであろう言葉を口にして、僕は家の前から自転車で走り去った。
夏の日差しは既に街を照らし出していて、この時間に家を出ても真っ暗だった頃を、相対的に思い出させる。そして次に思うのは、宇宙の因果関係の事と、時間の流れの事だ。
宇宙は光の速さで膨張を続けていると言う。
―――ならば、その光の速さで移動し続ける宇宙の端々と無との境界は、それは何なのだろう。
「おはようございます」
また、挨拶をしている。これは義務付けられた挨拶であって、本心の挨拶ではないと思う。義務の上に乗せられた心は、ともすれば相手にしてみれば義務でしかないかも知れないのだ。それは、どこか自分を虚しい気分にさせる事柄だ。
でも、無視出来ないと言う事でもない。何故ならば、それは義務でしかないから。
寝惚けた・・・と言えば少し違う、呆とした気分でレジに突っ立っている自分がいた。やらなければならない仕事は、とりあえず今の所はたくさんあるのに、それはわかっているのに、どうしても体がやろうとしない。心が体にやれ、と命令しない。
まだ、自分の中でおかしな文章を組み立て続ける自分はいた。その文字を全てこの場で、いや四六時中どこかで保存出来るのならば、それは数ある自分の中の幸福という物の一つに成り得るのではないだろうか。
頭の中の文章は、しかし時が経てば忘れ去られてしまう。もうこんな事を考えた事すら、もう数分もすれば綺麗に忘れ去って、もう思い出す事もないのだろうな、と思う。
そう考えれば、人間が生きている間に考えることの出来る文字の数と言うものは、もしもそれを計測する事が出来れば中々愉快な事になるんじゃないだろうか。と、そんなどうでもいい事の妄想をするのも、僕がよくやる事の一つであって、ふと我に返ると物凄く冷めた感想しか出てこない。
自分が普段よりも無意識に、しかし意識的に頭の中で物事を文字に摩り替える作業のおかげで普段通りの思考と行動に支障が出る事はない。体が覚えているのか、それとも自分の知らない所ではちゃんと普段と同じような事を考える思考が働いているのだろうか。
目は覚めている。眠くもない。それでも何故か視界がぼやけており、体もこれといって疲れが残っているわけでもないはずなのだが、ただ、動きたくないとだけ頭に信号を送ってくる。
ここで休めたら苦労はしないよ、と答えて、いつも通りの仕事を再開するのだった。
「どうしたん?ボーっとして」
今まで外回りの掃除をやっていたバイトの先輩は、レジの所にある袋を取りに来る際、僕の顔を覗いてそう言った。
「あーいやちょっと考え事してたんです」
自分では気づかなかったが、僕はボーっとしていたらしい。まさか、今まで好きと嫌いの定義を模索している最中でした、とは言えないし、何故か頭の中で勝手に文章が綴られて行っておかしな思考が止まってくれません。と言っても恐らく余計にややこしくなるだけだろう。
日曜日の朝は人がいない。店内には一人の客もおらず、僕はレジ周辺の袋やら割り箸やらの補充と、冷蔵庫に追加する在庫のリストアップを終えて、先輩の掃除が終わるのを待っていたのだ。
「しっかりしてよー」
と笑いながら掃除を再会する先輩に何か言い返してやろうかと思ったが、特に気の利いた文句も思い浮かばなかった。
思うに、僕は人と関わるのが苦手な部類だと思う。
人と会話を形成する際、相手の口から出た言葉に対して自分の意見を言い返すのがまともな会話の形式だと思うのだが、他人のやりとりを見て自分が思うのは、よくもまぁそれだけ早く回答が出るな、と言う事だ。
自分が何か言われた場合、それはどんな意味を持ってどんな返答を要求し、何を考えてそんな発言に至るのか、考えている間にはおかしな間が空いてしまう。だから、僕が他人と会話をする場合は当たり障りのない、表面上の意味での返答しかする事がない。返答と言うよりはただYESかNOとしか言わない、と言った方が的を射ているかもしれない。
逆に、僕が他人に喋りかける場合は、どうか。と考えると、これもまたYESかNOかしか欲していない質問でしかないケースが多い。何故なら、僕は自分から雑談を持ちかけると言うのは好きではない。
好きではないだけであって嫌いでもないし、別に全くしないと言うわけではない。だが、もし誰かと二人きりになったとして、喋る意味が発生せず相手からも雑談を持ちかけてこなかった場合、僕は終始無言なのではないだろうか。
僕の意識の中では『会話』と言う要素は恐らくほとんど皆無か、よっぽど優先順位の低い状態なのだろうと思う。故に喋りかけられても準備が出来ていないから反応に時間がかかってまともな会話にならないし、何かの必要性に後押しされないと会話と言う物が自分にとって有意義な行為にはならない。
だから、僕は損をしていると思う。だって僕は喋ると言う行為自体は好きなのだ。
ただ自分から喋りかけるのが好きではないので、自然、僕の望む状況と言うのは自分から喋ると言う行為に対して苦を感じない人間と会話をしている間だけだと思う。
でもそれはどこか我侭っぽくて好きではない。要するに、何がどうなった所で気に入らないのだ、僕は。
だから、打開策として自分から何か気軽に喋りかけるような人間になれば全て解決するのだが、それは自分で好きじゃないと自覚している行為を好きにまで消化若しくは昇華しなければならないと言う事であって、自分自身だけでどうにか出来る事ではないと思う。
しかしながら、少数ではあるのだが自分が会話をしていてもまともな会話になっているじゃないか、と思えるケースもある。それは限られた人間と相対している時だけの状態で、何故そのような結果にたどり着くのかは考えるまでもない。
気を許しているから、頭を使わなくてもいいのだろう。逆に気を許しきっていない人間には、どこか繕おうとしてしまう。気に障らないような、好意を抱かせないような返答だけを繰り返していく。好きな人間以外とは目を合わせようとしないのも、自分の癖なのだと気づいた。
だから、要するに自分は色んな人を好きになればいいだけの事なのだろう。それは多分、難しい事ではないと思う。
子供の頃、好きと言う言葉にはとても重要な意味があった。学級の中でそんな事を口にしようものならあっと言う間に囃し立てられ気恥ずかしい思いをしただろう。だが、今自分の周りにはそんな好きが沢山ある事に気づいた。肉親や友達や、一言も会話をした事がない人間でも好きか、と問われれば好きだと答えられるだろう。
でもその代わり、子供の頃大切だった好きは、どこかへ行ってしまったような気がする。
ここで問題なのは、僕は自分自身が好きなのかどうかと考える事を意識的に放棄している所かもしれない。
レジをやっている時。時刻は九時に指しかかろうとして、十時の退勤までの作業が突如増える時間帯だ。何故か数ある作業は九時にならなければスタートしてはいけない事になっている。というか、九時にならなければスタートできない作業が固まっていると言った方が正しいのか。
真夏だろうがお構いなしで毎朝仕込むおでんのスイッチを入れようかと準備のことを考え始めた時、現在店にいる唯一の客が会計を済ませた時にこう囁いた。
「大きい方のトイレに色々飛び散ってて、その、凄い匂いなんですよ」
と申し訳なさそうな表情で訴えてくる客は、丁寧に現場の惨状を教えてくれた。
コンビニエンスストアでおなじみの、売れなかった商品の廃棄登録をしにレジを離れている先輩に事情の説明もおざなりにして任せる。
自分はトイレ用のモップと雑巾を持ってトイレに駆け込むのだった。
この店のトイレは二つある。一つは女性専用と書かれた小さいトイレで、もう一つは男女、障害者兼用の少し広い空間のトイレだ。と言っても深夜から早朝にかけては大きいトイレは封鎖されているので、気休め程度の分別でしかないと思う。
そして、その大きい方のトイレは、異臭が漂っていた。
それは異臭と言う表現がよく似合っていると思う。臭いとは言わない。ただ、単純に嫌悪感を増大させるだけの匂いだった。
この中で用を足したさっきのお兄さんは、さぞや不快な気分だっただろう。この状況を作り出した張本人も不快だったのだろうが、せめて最低限の責任感くらいは持ち合わせていて欲しかったと思う。
掃除を済ませた僕は、涙目になりながら、必死に体の芯からくるような嗚咽を堪えていた。何故自分がここでこんな事をやっているのか疑問に思うのと同時に、この話を聞いたのが先輩でなくてよかったと思う。
僕は、レジで客に対応しながらも作業を一人で全部やって貰った先輩に謝りつつ、あの状況を的確に、しかし明確なイメージを沸かせないように説明するにはどうした物かと考えていた。
一通り仕事を終えた僕は、退勤時間が来るのを待っていた。思うに、何の仕事もなくても職場にいなければならないと言うのはどこかおかしい。勿論客が来たりすれば対応しなければならないのだが。
自分と入れ替わりで勤務に入る人達が二人、並んで入ってくる。店員同士はどこの店もそうなのか、割合仲がいいので先輩とくだらないお喋りなんかをしている。
仲がいいのはいいのだが、せめて決められた仕事はやって欲しいと思いつつ、先輩を見やる。客が見たらなんと思うのだろうか等と考えつつ、視線を宙に漂わせていた。
「どしたん、ボーっとして」
さっきと同じ様な事を言われて、はっと顔が合う。
「いや、なんか寝不足なんですよ、今日」
半ば無意識に口をついて出た言葉に対してそうか、と笑いながら着替えに引っ込んでいくおばさんを見ながら、ああそうか。と気づいた。僕は今日、決定的に寝不足なのだ。
体がだるいのも、こんな事を頭の中で整理できずに文章にしているのも、寝不足の時の決まり事みたいな物だった。
それにしても、休みたい日に限って予定はある物だ。
僕は午後から控えている面倒な予定を消化するべく、自嘲気味に笑いながら店を後にした。