その日は、カンカン照りという言葉が最高に似合う、春先とは思えないような強い日差しが降り注ぐ日だった。
僕は、今年の新入生を迎える入学式での、いわゆる「歓迎スピーチ」をやらされる事になった。
生徒会の会長として、先輩の代表として高等学校と言う新しい学び舎での生活を始める新入生に
ここはこういう場所だ。色々がんばれ。と、大雑把に言えばこういう話をするというのだ。
がしかし、本番三日前になって、いきなり「はいこれやれ」はないんじゃないだろうか。
それだけならまだしも、前年度のスピーチの原稿を参考までに貰ったのだが、どう見ても二十行近くある。
それを全て暗記して来いを言われるのだから、日頃の自分の行いを恨むしかなかった。
その日は早めに睡眠をとる事にした。
何故なら、次の日は夕方からバイトで、その次の日・・・つまり入学式前日も朝からバイトなのだ。
ようするに、後二日の間、しかもバイトで四時間ほどずつ削られる中で、「春休み中にやっておくように」
と言われて渡された宿題全てを片付け、尚且つ入学式の挨拶を丸暗記しなければならないのだ。
僕は自分で言うのもなんだが、記憶力には自信がある。
それも、次の日には綺麗さっぱり忘れてしまうほどの瞬間的記憶だ。
「数週間後の試験にこの文章を全て書く暗記のサービス問題が出る」と言われ
僕だけはそのプリントが配られた30分後に「覚えた」と言ったら教師の逆鱗に触れ
わざわざ皆が清聴する中、しかも教卓の前に立たされて言わされた経験があるほどだ。
ちなみに試験本番はつまらないひらがなのミスで間違っていたが、何故か採点ミスで満点になっていた。
話が逸れた。
だから、この挨拶の暗記も不安はない。不安はないが、何故自分がこんなギリギリになってこんなものを
暗記させられるのかという苛立たしさが僕にプレッシャーを与える。
そもそも、この文章を読むのは本来僕ではなく、生徒会執行委員の一人である友人がやるべきものだった。
しかしながらその友人は、新入生を迎える為の生徒会での活動中につまらないいざこざがあり
「自分は生徒会とは合わないのでもう辞める」と告げ、さっぱりとやめてしまったのだ。
いざこざと言っても簡単な連絡の不行き届きでしかなかったが、それがきっかけとなって
今まで鬱屈していた物に拍車を掛けたのだろうというのが僕の推測だが、本当の所どういう理由なのか
それは知る由も、義務も、意味も無い。ただ残ったのは、彼が引き受けたまま放置していた入学式の挨拶を
残った僕がギリギリになってやらされるという結果だけだった。
無論その事について友人を責めたり、恨み言を言ったりはしない。それは格好の悪い事だと言えるし
何より彼なりの信念に従った結果なのだから、僕がそれをとやかく言うほどの事ではないと考える。
「なんでだよ、やるって自分で決めて入って来たんだから、せめて次の役員投票までやり遂げろ。」
なんて台詞も考えたけど、無理して引きとめることもない。
それは勿論友人の我侭だ。それを咎めるのも、或いは友人としての責務であるかも知れない。
そうは思うものの、自分はそこまで他人に、他人の深い部分に干渉したいとはとても思えなかったし
やはり自分の信じる道を行く事には意味があると思えたからだ。
・・・では、僕が今やってる事に意味はあるのだろうか。
僕がこうして苛立ちの混じった深い溜息を吐くのは、こういう事態に陥ってしまった原因に対してではなく
ただ今ある結果に対してだ。こればっかりはどうしようもないのだから。
その日は土曜日だった。
僕は朝早くから起床して、丸一日掛けて挨拶を考え、読み返し、暗記するという日程だった。
だが、起きたのは既に昼過ぎ。
夕方からバイトがあり、バイトに一度行ってしまえばもう一日が終わろうとする時間になる事を考えると
どうも時間が足りない気がしてきて、素早く身支度を済ませ、昼食もおざなりにして取り掛かった。
一日で暗記。
明日は何時間かかるかわからない宿題を終わらせなければならないのだから、
こんな所でもたもたして貴重な時間を潰すわけにはいかない。
バイトが始まった時点で、僕の「今日」は終わっているんだから・・・。
そんな事を考えながら、過去の演説を模倣するような形で文章を考えては口の中でブツブツと繰り返す。
例と全く同じような言い回しや単語は、僕が最も嫌う事の一つだ。
どちらかというと、話の筋とか、話題の区切れ目の大体の目処さえ掴むことが出来れば、
こういう文章を作る過程ではとてもやりやすくなる。
それさえも先人の真似と思えるけど、一から構築して自分を含む皆が納得するようなものを作り出す
ほどの時間はとてもないように思えた。
全ての作業・・・文章を考えて、間違わなくなるまで暗唱するだけだが、それが終わったのは
時刻が午後の二時にさしかかる頃だった。
と言ってもまだまだ完成とは言えない状態だ。何せ、本番は何百と言う人の注目の中、
マイクを通して言うのと、一人部屋の中でボソボソと声にならない声で言うのではわけが違う。
今出来る事は、本番で緊張しないように祈る事と、もし頭の中が真っ白になっても勝手に喋ってくれる
くらいまで自分の体に文章を覚えさせる事くらいだ。勿論そんな領域まで行くほどの時間が無いのは
知っているけど。そこから、思い出したように日頃の自分の生活に戻っていった。
パソコンの前に少しだけ座ってインターネットに講じたり、すぐに飽きて仮眠をとったり・・・。
そう、わかっている。こんな事してる暇はないんだって。
でも、それを押しのけるように、無理矢理人ごみの中を突き進むように、何かが理性を撥ね退ける。
自分で自分が何を考えているのかわからない。
いや、正確には、自分がやらなければと考えている事とは違う事をどうしてもやりたくなる。
そうやって、自分と、見えない自分とが睨み合ってる時間が何分続いただろうか。
日頃の習慣で、バイトに間に合うくらいの時間に鳴る様設定されたアラームの音が耳に浸透してきた時
はじめて自分が浅い眠りの中にいた事に気がついた。
睡眠とも呼べないような睡眠。意識がまだ完全に落下していない状態。
それは、とても苛立たしいモノだ。このままで起きたくない。と、最大音量で誰かが僕に叫ぶ。
迷ったのは一瞬だった。「急げば間に合うのだから」と言う言い訳を考え付いた時には、既にアラームの
設定を数分遅らせて、今度こそ完全な眠りに入る決意をして枕に顔をうずめる。
・・・そこで、僕の今日の記憶は終わった。
次の日は朝の五時に起きてバイトの用意。それが終わったら早速宿題に取り掛からないといけない。
何故こんな日に限ってバイトなんてものが入っているのか疑問だ。
が、とりあえず夕方からのバイトでない事は不幸中の幸いと言えた。
元はと言えば自分で撒いた種なのだから不幸も何もないのだけど。
結局どうしたのかと言うと、僕は朝の五時まで、と言うかその日丸々一睡もしないで過ごした事になる。
何をするでもない、布団に入っても眠れないからと言ってダラダラ時間を潰しているうちに遅くなり
このまま寝ると大幅に遅刻してしまいそうだ、と考えると、とても眠りにつく気になれなかった。
その日、一日かけて宿題をやろうと決めている事も、勿論考えの中だ。
だから、今日は死ぬかもしれないな、と、自分でもどういった経緯で発想されるのかわからない単語を
口に出しながら、渋々と明け始めた橙色の世界に身を投げ出した。
不思議と寝不足の時にありがちな症状は、ない。これがいい事なのかどうかはわからないけど。
途中、やっと全身をさらけ出した太陽を見た。
それは、物凄く遠くにある、物凄く巨大な熱源だ。
まるで自分が手を伸ばせば届きそうな距離に出来たと錯覚できる陽炎ごしに、その熱の塊を見た。
それはほんの2,3秒程度の体験だったが、反対側を向いてバイト先に向かった僕の
目に突き刺さるような痛みは、どこか心地がよかった。
一日の始まりに直面してしまったのだ、自分は。
それがどんな意味を持つものなのかは要としてしれないが、
何故か背徳的な気分だけが胸の中を小刻みに傷つける。
『それにしても、最近は朝焼けが綺麗です。』
そんな事を言っていた人がいたな、と、そこで始めて本来の自分に戻ることが出来た気がする。
今日は、辛い一日になりそうだ。
バイトから帰った僕を出迎えたのは、おかえりという定番の挨拶でもなければ激しい睡魔でもなく
「早く宿題をしよう」と自分を急かす自分だった。
眠たそうな瞼を擦りながら起きてきた母に軽い挨拶だけを交わして、自室に閉じこもった。
ただ、どれだけ摩訶不思議な気力があったとしても、自分は生来不真面目な人間だと言う自負はある。
それが、ただ紙と参考書を見比べて答えを探し出し、或いは過去のノートの手記をなぞって
ヒントを得る。そんな時間をずっと続けていられるのかと言われれば、無理に決まっているのだ。
問題の数は、自分が思っていたよりもずっと少ない。
だから手を抜いたわけでもないし、きっと問題数が多くてもやり方は変わらなかっただろうけども
兎に角、宿題は綺麗さっぱり、その一日が終わったとほぼ同時に片付いた。
「これで、普通に寝れる。」
そんな安堵の声が聞こえる。
一日半まるで睡眠をとっていない自分が普通に起きることが出来るのかどうかは
全くもって保障できないが、ただ言えるのは、明日は始業式で、新しいクラスの発表があり、
入学式で挨拶をしなければならない事。そして、その入学式で言わなければならない挨拶の内容を
自分はまるで満足に憶えていないという現状があるという事だ。
だが、そんな思考も飲み込んで、睡魔は僕の体を深い闇に沈めていった。
起きたのは、まだ大分余裕がある時刻。
ゆっくりと用意をして、ギリギリになるまで放置していた宿題を鞄に詰め込み
朝ごはんをきっちり食べて家を後にする。
新しいクラスメイト。新入生。生徒会。授業。
何もかも、煩わしい事ばかりだ。
自分に絡み付いてくるしつこい蟠りだらけの学校で、今までよりももっと粘り強く、陰湿に付き纏う糸を
或いは切断して、或いはゆっくりとほどいて、確実にまっすぐ歩ける状態にならなくてはならない。
あぁ、考えるだけで面倒だ。面倒な事に自分から首を突っ込まなければならないシステムすらも恨めしい。
だけど、それも最初だけ。
最初だけ少し足踏みして、後は何も見ないで進めばいいのだから
それはそれで簡単な理屈ではある。
ただ、面倒だ。
昔から、何でもかんでも面倒臭いと愚痴を溢しながら、面倒だからという理由でそれを放棄したことは
今まで一度もないんだった。
そう、面倒臭いというのがそれを投げ出す理由にならないのはよく知ってる。
面倒なのは、何も悪いことだけじゃあないんだから・・・。
結局そうやって、何事も善し悪しだととってしまうのは、自分に妥協しているのか、慰めているのか。
兎も角、面倒な事をするために学校に行く生活も嫌いではない。
自分は危ない人間だ、と時々思う。
何が危ないのかはわからないけども。
やっぱり、どこか大事なところで足を踏み外す人間なんだ、と
誰かがそう言ってる。
学校に着くと、後は早かった。
自分のクラスに行って鞄を置き、体育館で下らない生活指導の話を聞く。
本当に、下らない。
黙って話しを聞いて、さっさと教室に戻って、摩擦を起こさない程度に新しい担任と馴れ合って
連絡事項も最低限の部分の情報だけ気に留めて帰路に着けばいいのに。
あいつらは何が楽しいんだろうか?
教師が壇上で指導についての細かい変更点など列挙してる間にも、近くのヤツらとギャーギャー五月蝿い。
お前らに言ってるのがわかんねぇのか。わかんねぇんだろうな。
時間がないと思わないのか。
自分の中の時間が、取り戻せない時間が物凄いスピードで失われて行ってる事に気付いていないのか。
それすらも、あいつらの中ではかけがえのない大事な時間なのだろうか。
お前らそれで幸せなのか。
久しぶりに会った友達と楽しく騒いで、周りの連中に迷惑しかかけねぇで
不愉快撒き散らして
幸せそうな顔してる。
何が楽しいんだ。
何が大事なんだ。
何で、こんな事考えてんだ・・・。
学生でいいじゃないか。
どこにでもいる、ちょっとばかり真面目ぶった生徒会会長。
女子と喋るのが苦手で、テストでいい点とっても絶対はしゃいだりしないで
ちょっとだけ一人大人になった気でいるような生意気なやつでいいじゃないか。
それが自分なんじゃないのか。
でも、やっぱり今更子供には、戻れないんだから・・・。
誰かに助けて欲しいのかもしれない。
でも助けられるのは嫌いだ。
矛盾してる。
だから苦しいんだ。
何がって、生きることがさ。
でも苦しいってのは、何も嫌な事だけじゃない。
幸せだから、きっと苦しいって感じるんだろう。
健康だから、傷ついた時痛いと思うんだろう。
傷つくことに慣れてないから、小さなキズでも、すぐに泣いちゃうんだ。
自分は、こんな事ばかり考えて・・・・何なんだろうか・・・・。
教室からばらばらと生徒が出てくる。
その光景は、有触れた日常で、やかましい喋り声を上げる生徒も皆微笑ましい。
ここは、学校なんだ、とそんな事を今更になって自覚した。
「お待たせ。」
隣のクラスの、いつも一緒にいる友人に声をかける。
うちのクラスの担任がどうでもいい話を長引かせる間に、どうやら大分待たせてしまったようだ。
どちらとも無く一緒に学校に来るようになって、帰り道が同じだから自然と一緒に帰るようになった。
最初はただ一緒に帰ってただけかもしれない。
そいつと一緒に階段を降りて、トイレまで行って、出た所で手を振って友人は帰った。
僕はまだ、生徒会の仕事があるんだから。
友人がどういう心境で学校を後にしたのか、それを考える程の余裕はなかった。
何しろ、この後は僕が新入生一同の前で生き恥を晒す時間がやってくるんだから。
新入生が体育館に入場し、入学式が本格的に始まるまでは数時間あった。
僕はそれを知ってか知らずか、母と今日の昼食について会話を交わした記憶が頭に浮かぶが
それが意味のある思考かと言うと全くもって否なのであって、空腹感は満たされないまま
時間が経つのをただ待つ意外の行動を取る事なく
浅い眠りの中に浸かって行った。
生徒会室には、後輩の喋り声だけがひそひそと広がっている。
自分がここにいちゃ邪魔だろうな、とも思ったが、どこに行く当てもないので仕方なく寝たフリを続ける。
「先輩、寝てますか?」
なんて冗談っぽく聞かれた時だけ、自分が覚醒している事を告げる。
本当に、子供は幸せだ。
そんな言葉が頭を通り過ぎていく。
僕は・・・子供だろうか。
もう少し歳をとったらわかると思う。
・・・幸せだろうか。
幸せってなんだろうか。
自分の中では、あっという間にその本番の舞台へ立たされていた。
記憶はある。
ゆったりとした口調で司会進行する教頭の声。それに合わせて起立、着席を繰り返す新入生。
校長の祝辞。PTA代表の祝辞。外人の先生の流暢な日本語の激励。つま先が破れかけたスリッパ。
そして、僕の名前が呼ばれた。
来賓席に、礼。回れ右して、教員に、礼。教頭の声に従って、正面を向いて、礼。
始まっちゃったな。
「今までの生徒会代表の挨拶で一番良かったよ。」
「あっこでいっちゃんカッコ良かったぞ。」
なんて、後から言われた言葉は、きっと毎年の代表者が聞いてるんだろうな。
さぁ、仕事が終わった。
でもこれで帰れる、という訳にはいかない。
まだ、生徒会執行部としての会議は終わってはいないのだ。
新入生歓迎会と言う、生徒会が取り仕切るイベントの事。主にそれについての諸注意や最終点検。
もう本番間近である。決行は14日の金曜日。早い、と言えば早い。
これが終わってホっとする暇もなく、次はここか。
新入生歓迎会の開口一番を勤め挨拶は、またも僕の役割だ。
今度こそ、アドリブだけで誤魔化してやる。
そんな事を考えながら、先生の声に耳を傾ける。
帰る頃にはもう時間も経っていて、遊びに行く暇などなさそうだ。
後輩の一人が、新入生歓迎会の生徒会企画として出すクイズの景品を、そこらの百均で買うと言う。
僕は何故かそれに付き合わされる羽目になった。
離任式で親しい教員が去るという事で、花束もついでに買うという。
いやはや立派なものだ。と、仕方なく後をついていく。
僕が一緒に行く理由がまるで思いつかなかったが、五時からバイトがあるのにも関らず
誰もやろうとしないこういう面倒な事をやってる人間について来いと言われれば
何も予定が無い僕が断るなんて事は到底出来ないことだと思えた。
今年は、春にしては熱い。ただここ数日雨のせいで気温は下がり、強い風が吹くおかげで
よけいに寒くなってくる。普段カッターシャツにセーターしか着てこないその後輩は、流石に寒そうだ。
「うわーさぶ、やばい。」
そんな事を口にする。確かに、朝と比べても風も大分強くなっていて、セーターだけだと辛そうなので
「ブレザーいるか?」
と聞いた。瞬間目が輝いたのが見て取れる。わかりやすいやつだ。
「いや、欲しいけど。え先輩中なんか着てますか?」
「カッターだけ。」
「そりゃあんたやばいでしょう。」
「真冬に半そで人間だからな。」
結局後輩はぶかぶかのブレザー引っさげて花束を買いに行く事になった。
花束を作ってくれと依頼すると、出来るまで時間がかかるとの事。
待つ時間も惜しいのでさっさと景品の方を品定めに行く事にした。
買ったのはどれも、小学校低学年の男の子が喜びそうな物。で丸く収まった。
8点ほど買って、元の花屋に戻る。
どちらも同じ建物の中にあるので、移動は楽だった。
花屋の前まで行くと、そこの店員がもう少しかかりそうな目でこっちを見てきた。
二人して、設えてある竹製の長椅子に腰掛ける。
傍から見たら、こういうのもおめでたいカップルみたいに見えるものなのだろうか。
とそんな事を考えると複雑な心境だった。
今は急いで買い物を済ませ、バイトに間に合うようにこの後輩を帰宅させなければならない。
一度それらの荷物を学校に持って行き、保管しておいて貰わなければならない。
それらの作業が終わった時、既に時刻は四時半に指しかかろうとしていた。
後輩が言うには、急げば間に合うらしい。
僕はそれに反論する事もなく、他愛の無い会話をしながら、既に見飽きている風景が流れるのを見ていた。
この辺りはどちらかと言うと平地が多い土地のはずだが、どういうわけだか僕の家から学校に行く場合
無駄に起伏が激しいと言わざるを得ないようなアップダウンを繰り返した道を行く事になる。
慣れてしまえば気にならないものだが、最初は戸惑ったものだった。
肩で息をしている後輩と、信号待ちにさしかかったところでブレザーの返却。
普段僕は、常にシャツはズボンに入れ、ベルトも締め、ズボンを下げたりもせず、ボタンを全部留めて
さらにつけなくてもいいネクタイを一年中つけているような生徒だ。
が、何故か今日はだらしなくシャツを出して、ブレザーのボタンも一つも留めずに
風になびくネクタイをたびたびもとの位置に戻しながら、帰る道を走っていった。
後輩と十字路で別れる。やはり、自分は一人の方が落ち着くようだ。と、少し寂しい事も考える。
嫌いじゃない人間と過ごす時間は、心地よい物ではない。とは言わないが、やはりどうしても
自分ではない人間と過ごす時間は、窮屈なのだ。
それは、自分が他人と接触する場合、大多数の部分を押し込めているからに他ならないと言える。
それを開放してしまうのは、社会的な僕の存在を危うくさせるものであるとさえ思うからだ。
だから自然、僕は本当の事をあまり言わなくなる。
嘘をつくのではなくて、真実を言わないのだ。
嘘でも本当でもない、曖昧な答え。
答えになっていない、嘘ではない真実。
そんな事ばかり繰り返しているから、自分が誰だかわからなくなってしまう。
自分が後数日間、どれほどの苦労を経験し、どれほど頭を悩ませて、どれほど成長するのか
それは、やはり後になってみないとわからない。
僕は、楽しみはやはり最後に取っておく方が好きな人間だから。