風邪引きました(挨拶

なんというか、何もいわないでください。

ここ数日暇さえあれば寝込んでた海王ですが、咳がでまくって寝れないんですけどどうなんでしょう。

夜寝ようとしたら「ゴホッ!ゴホッ!」て。まともに熟睡出来ません。今もゴホゴホやっております。

過去何年かはこんなわかりやすい風邪引いた記憶がないんですけども、とにかく凄い長引きます。

もうかれこれ一週間になろうとしてますよ。最初は鼻水ちょっと出てるくらいであーやばいなーと思いつつ

そんくらいの症状なら一回寝れば治るのがお決まりのパターンだったからさしも心配せずに過ごしてたら

今度は喉やられて頭痛くなって、咳が止まらなくなったと。

まぁ恐らくずっと半そでだったせいですが

コレのおかげで何日かバイト休んじゃいました。いやぁ馬鹿でも風邪引くんですね

とりあえず、半病人の病状を綴ったところで何も意味はないのでなんかネタないかな。



ゴソゴソ



某Gチャ

知らない人に見られていたらしい。

このサイトにRO関係の物が出たのは何ヶ月ぶりでしょうか・・。

お題?なんですかそれ?募集中です

それはそうと、「仄暗い水の底から」見てきました。

いや、さっきテレビでやってたんだ。で思ったのが

え、何この壮大なパンチラって事です。

もう幼い少女のパンツが見えるわ見えるわで、そっち好きな人にはたまらない逸品でしょう。

一瞬「え、日曜の朝じゃないよね。」とカレンダーを見てしまうほどでした。

後はえーっと。どんなだったかな。あんまりネタバレ感想は書きたくないのでもういいか。

とりあえず僕だったら殴ってますね

何をって・・・。管理人?

          
































「今日は、僕の事について話そう。生まれたのは大阪の、あまり都会とはいえない場所だ。
 何故この場所に僕らの家族が住んでいたのかって事情は知らない。物心ついた頃、僕が住んでいたのは兵庫の山の中にある家で、しばらく僕はそこで生まれ育ったと信じ込んでいたからね。そして、何故そんな場所に引越しをしたのかって言うのは、母親に聞いてみたら僕が生まれたおかげで前の家では狭くなってしまったからなんだそうだ。
 僕は小さい頃……そう、まだ幼稚園児にもなっていない頃だが、友達がいた。何故友達になったのかはわからない。彼に兄弟がいて、僕の兄弟と仲がよく保護者同士のコネクションが出来ていたからかもしれない。僕の兄弟は三人。歳の離れた兄が二人と、二つ離れた姉が一人いる。そのうち二人は、今どうしているのか全くわからない。わかるのは、子供の頃のように親密な間柄には戻らないだろうって事だね。
 彼に兄弟がいたかどうかって言うのはよく覚えていない。彼と僕は仲が良かったけど、今は全くお互い連絡も取らないような状態だから。で、その子の家に遊びに行ったり、僕の家で一緒に遊んだ記憶は少しだけある。昔はよくやんちゃして怒られたよ。自分でも今とは比べ物にならないと思うほどにさ。幼稚園に通う生活は少し辛かったな。何せ、道が坂ばっかりなんだ。帰りが上り坂になるもんだから、よく駄々を捏ねて殴られた。
 そんな生活が、少なくとも僕の中では延々続いてた。阪神淡路大震災が直撃するまではね。
 よく「怖かった?」とか聞かれるけど、なんてことない。僕は自分の家が震度5強でシェイクされてる時、ぐっすり眠ってたんだから。その後自分に何が起きたかって言うのは割と簡単に受け入れられたね。物事を考えるって事をしなかったからかもしれない。
 そんな事情があって、僕の住んでいた家はほとんど全壊した。幸い父も母も、兄も姉もペットの犬も無事に脱出できた。犬はまだ元気だよ。暇な日は散歩に連れて行ってる。
 地震があってから少しの間、僕ら一家は避難所に指定されている中学校の柔道場へ移り住んだ。どれくらいの間そこにいたのかは全然覚えてないけども、何日か、或いは何週間かしたら、僕らは新しい家を見つけて引っ越す事になった。そこが今いる、そしてもともと僕が住んでいた家の近所だったわけだ。近所って言っても自転車で行くのには多少抵抗がある程の距離だけどね。
 何はともあれ、僕はその場所で他の人と同じ時期に小学校に入学したわけだ。つまり、引越しをしてから入学するまではどこにも通わなかった期間があるはずなんだけど、惜しい事に全くその記憶がない。
 で、問題なのがその学校というか、学校生活さ。関東の人は大阪の街をおっかないとか汚らしいとか思っている人が多いらしいけど、全く持ってその通りだ。おっかなくて汚らしいやつらが一杯いる。勿論僕もその一部だったけどね。当時はごく普通の小学生、と言えたかもしれない。勉強が嫌いで、体育が大好きな子供さ。
 そんな風に過ごしていたんだけども、変化があったのは小学校五年生の頃だったかな。父親が珍しく何日も家で寝転がっているから母親に聞いたら、なんとも悲痛な面持ちで『お父さん、もう会社来ないでいいって言われたんだって。』と教えてくれた。当時、これが噂のリストラというやつかって思った時の一連の記憶が明瞭にある。今思うと母も僕も驚くほど冷めた反応だったような気がするけど、実際直面してみたらそんなものなのかも知れないね。ドラマの見すぎかもしれない。
 そんなわけで、どうやって切り盛りしていたのか僕は全然知らないんだけども、僕が六年生になるころには、父親は新しい職場を見つけて、それがまぁ給料のいい所だったらしい。僕らはあっという間に、兵庫に戻ろうって話を持ちかけられた。最初は冗談だと思ったけど、両親は大真面目だったってわけさ。
 父親が大金稼いで帰ってくるもんだから、どっちとも浮かれてたんだろうね。とりあえずそこまでは良かった。
 でも、兵庫に引っ越した時に二番目の兄は一緒には来なかった。何でかって聞いたら、両親はこっちで仕事しなきゃならないからって言ってくれたけど、本当の理由じゃない事がわかったのはずっと後の事だった。
 とにかく、僕らの家族は次男坊を残して兵庫に"舞い戻って"来た訳だ。でも、当時の僕がそこに住んでいたのは幼稚園の頃までってのはさっき言ったけど、小学校ともなるとやっぱり知っている友達が多いんだ、これが。
 問題なのは僕がその友達の名前を全然覚えてない事だね。地元から引っ越した人間の事はみんなよく覚えているもんだけど、引っ越した人間が元いた場所の友達の事を全部覚えているはずがない。勿論みんな僕の事を覚えてたよ。勿論名前もね。僕はといえば当時特別仲が良かったり、引っ越す直前になっても遊んでいた友達は覚えてたけど、それ以上に知らない人に名前を呼ばれた。でもやっぱり知らないやつも一杯いるわけだから、そのうち溶け込んだけどね。
 そのうち学校が変わった。六年の途中から、校舎の場所が全然知らない場所に移って、昔兄や姉が通った小学校は潰れて老人ホームかなんかになってしまったんだ。幼稚園の頃、よく連れて行ってもらって遊んだ記憶があったから少し物悲しかったけど、それ以上に学校が家から遠くなるのが嫌だった。また坂を上る生活に遡ったってわけさ。なんてね。
 僕は小学生としては背の高いほうだったから、まず最初にミニバスに誘われたんだ。誘ったのは僕と同じ幼稚園に通ってたって言う男の子。僕は名前も顔も覚えてなかったけど、確かにアルバムにはその子が載っていた。
 行ってみたら、本当に初心者な僕とは比べ物にならないほど上手い子が一杯やってて、別段バスケットボールに興味があったわけじゃなかったから、なんとなく続けてた。仲のいい友達が一杯やってたってのが大きいかもしれないね。これと同じ事を小学校の卒業文集に書いたよ。先生は苦笑いしてたな。
 自分で言うのもなんだけど、もともと運動神経は良かったからすぐ上達して、引退の頃には立派なバスケ少年になってたよ。と言ってもあんまり褒められた成績じゃなかったんだけど。体力が全然なかったんだ。
 それで、中学校に上がった。僕は好きでもないバスケットを続けるか、兄もやっていた陸上をやってみるかで少し悩んだけど、結局はバスケに落ち着いて中学生活を送った。それから、どういう理屈でかは知らないけど、バスケ部の連中が嫌いになったんだ。人の事嫌いになるってことを覚えただけかもしれない。中学生の間は心身ともに成長するって言うけど、本当だね。僕の場合背は全然伸びなかったけど。
 二年になって、僕はきっぱりバスケ部の連中と絡むのをやめて、同じクラスの特定のやつとよく喋るようになった。似通った趣味だとかで話が合ったし、バスケ部のやつらと違って喋ってても嫌な気分になる事がなかったからさ。とにかくさっさと部活が引退になってしまえばいいのにって思ってたね。
 それと、一年の頃に知り合って、毎日のようにメールしてた子と付き合ってた時期があったんだ。二年の中ごろくらいからかな。休みの日にデートしに行ったり、友達とかに冷やかされたりしながら一緒に帰ったりしたけど、結局何もしないで別れた。三年になる少しまえでね。そう、2001年2月13日。バレンタインの前日だったからよく覚えてる。いい人生経験にはなったと思うけど、少し可哀想な事をしたかもしれないな。
 それから三年になって、いよいよ高校入試の事を考えなきゃならないといった時期に、事件が起きた。どういう順序だったのかはもう覚えてないけど、先ず姉が家出しては戻ってきてを繰り返し、鬱病で仕事を辞めた父親も一度蒸発したんだ。僕は泣き崩れる母親を見ながら、自分の感情がピクリとも動かない事に逆に困惑した記憶があるよ。
 僕らが移り住んだその家は洋風の三階建ての家で、三階には僕と長男の相部屋があって、二回は姉と両親の寝室。一回はリビング、ダイニングキッチン、バスルームって所で、トイレは一階と二階に一つずつ付いてた。で、姉と母はしょっちゅう足音とか変な物音を聞いたって言ってたよ。いつ頃からか長男はアルバイト先で認められて正式に入社して、家に寄り付かなくなった。母親は今でも、あの家は悪霊がいるって信じてる。家族が次々に病気になったり、バラバラになっちゃったからってね。ばかばかしい。でも確かに、あまり気持ちのいい造りではなかったと思う。風水かなんかで見てみたら間取りが悪いのかもしれない。
 そんな家庭の事情とは裏腹に、僕の学校生活はピークを迎えていた。学校に行くのが楽しいって感じるんだ。わかるかい?こんな感情。生きているって素晴らしい、と素で言える程だよ。二年の時に仲良くなった友達と、小学校の時特別仲が良かったやつとか、とにかく周りの友達に恵まれてたってのもあるし、いい担任を持ったからかもしれないけど、とにかく学校に行きたくて仕方がなかった。
 そして僕は、人生で一番幸せだったろう五月末の修学旅行を最後に、もう一度大阪に来る事になった。とうとう家庭崩壊が濃厚になってきて、父親は戻らないし、母親は仕事のしすぎでリウマチになっちまって稼ぐどころじゃなくなった。大阪に住んでる兄に頼る事になったんだ。長男は既に東京のゲームセンターの店長に就任してしまったからね。ちなみに、父親は僕らが大阪に引っ越す事を決定して暫く経ったある日、普通に帰ってきたんだ。ただいまって。僕も普通におかえりって言ったよ。僕の誕生日に声が聞きたくて電話してきたって言う父親に、母が大泣きして説得したらしい。僕の全く知らない話だった。
 広い三階建てから今度は家族五人ぎゅうぎゅう詰めの日本家屋に引っ越して、僕は運送会社の人がドサドサと荷物を置いていって収集も付かない部屋で一晩過ごした直後、転校先へ行く事になっていた。
 僕が転校先の中学校に赴くと、やっぱり知ってるやつが山ほどいる。今度は小学校時代って言うはっきりと記憶に残る部分を過ごした土地だから、前ほど記憶の欠陥はなかった。友達の名前も大半は覚えてたしね。
 でも困ったのが、勉強がさっぱりわからないって言う事以上に、兵庫で慣れすぎた僕には少しばかりこっちの空気は汚すぎたって事だ。勿論そこらへんに漂う空気もそうだし、人間が発する空気もそうだ。
 下衆なやつも、不真面目なやつも、校則を守らないやつも、ここではあくまで標準の子供みたいだね。だから誰とも仲良くなろうと思わなかったし、僕により付いてくるやつもあんまりいなかった。でもとりあえず友達同士でつるんでる間は本当にいいやつだと思える場合がほとんどだし、上っ面だけの付き合いは心がけたけどね。学校が終わって日が沈んだ後何してようが、僕はどうでもよかった。中学生活も最後の方、あまり喋った事がなかったけど仲良くなったやつもいた。よくいる地味なやつさ。でもそいつだけは悪いやつじゃなかったから、今も付き合いが続いてる。
 高校入試は、他のみんなが考えているほど僕にとっては重い問題じゃあなかった。もともと行く高校は大体の目処が付いていたし、僕の学力なら問題なく通過出来るような学校だったからね。それが今通ってる学校さ。受験戦争なんかどこ吹く風ってね、遊び呆けてたよ。中学三年の大半は午前中授業になって、後は自主勉強の時間に割り当てられるから僕は思う存分遊ぶ事が出来た。受験前日になっても、まともに勉強した記憶がない。
 高校生になると、父親はなんとか職を見つけて、母親も無理がない程度にパートを始めた。それで、兄が家を出て行った。元の形に戻ったわけだ。
 僕はアルバイトを始めて高校生活の内の三分の一を過ごした。やっぱり高校になってもあんまり好きになれないやつがほとんどで、未だに友達とまともに呼べるようなのは少ないね。
 アルバイトをやめる時、酷いイチャモンを付けられた。僕が辞めた理由は、冷蔵庫の中で重労働を続けた結果腱鞘炎になってドクターストップがかかったからなんだけど、それを社員の人に伝えたら本気切れされてね。なんでかと思って仕事先に出向いて話を聞いたら、僕と同じような口調でついさっき一人辞めて行ったって事だそうだ。グルになってるんだと思われたってわけさ。勿論そんな覚えはないから口論になった。でも、頭に血が上った関西人ほど手に負えないものはないってね。何を言っても無駄みたいだったから、とりあえずやめますって事で背中に罵声を浴びながら帰る羽目になったよ。
 辞めたのが11月に入って直ぐ。それから、担任に生徒会をやらないかって言われたから、暇な僕は入ったんだけど、やっぱりそこにも僕が望むような環境はなかったね。
 その間、父親は何度も就職と退職を繰り返していた。今はなんとかやっているようだけど、またいつ辞めるって言い出すかわかったものじゃないってのが正直なところさ。
 それで、二年になる直前、新しいバイト先を見つけて、それは今でも続いてる。ところが今度は僕は前ほど暇じゃないんだ。もう卒業後何をやるのか決めているからさ。アルバイトなんてしている場合じゃなくて早い所受験に備えたいんだけど、そうも行かない。人手不足が激しくなって辞めるに辞められない状況なんだ。」

「それでアンタは、まだ咳が止まらないってわけか。」

「その通り。」