朝、眠いのはこのところ極度に減った睡眠時間のせいであろうと思いながらも、重い瞼を擦った。

いつも同じ時間を過ごす事が出来るのは幸せなのだろうと、飽和に近い状態の頭が僕に告げる。

だが、それはとても勿体無い時間の使い方なのかも知れないという不安もあった。

そんな自分の頭に生まれた微かな冷静な思案さえも、時間は取り込み進む。

時計の針は確実に僕を圧迫し、歴史を刻み続けていた。



連続ネット小説   海王記

この物語はフィクションであり                
   実在のいかなる団体・個人とも一切関係ありません。




意識が覚醒をしたと自覚出来たのは、学校へ向かう途中の事だった。

毎日同じ時間、同じ場所で、同じ格好で待つ一人の友人の姿を認め、素っ気無い挨拶を交わしてから学校への激しいアップダウンに自転車を放り込む。

その過程で、友人との上の空で会話をしながら、ようやく個としての自分を発見するのである。

毎朝のスケジュールチェックは日課であるものの、最近の大袈裟な時間割変更は生徒達の不安とストレスを募らせるのに十分な効果を発揮し、それによって乱れる用意の把握を僕が完全にし得るかと言われれば、首を横に振らざるを得ない。

僕の私生活・・・バイトから学校、遊びの時間まで全部含めて、自己の意思に従って行動している状態のうち、学校の事を考えるのは平日の朝起きたときから最後の授業終了を告げるチャイムを聞く時までと決まっている。

勿論休日だろうが学校帰りだろうが学校の事を全く考えないわけではないが、真剣さが違うのである。

己は学生なのだという意識を保っているか否か、と言ってもいい。

つまり、僕は学校の外で学生を気取る事はしないように努めているのだ。

なぜかというと、それは学校が嫌いだからだ。

学校が嫌いな人間はそれこそ数え切れないほどいるとは思いつつも、それらの人間が全て同じ理由で物を嫌っているかと言えば違うに決まっている。『共通点』はあろうとも、その人の感性が全て他人と共有される事はない。言葉という伝達方法を使ったとしても、それは所詮言葉でしかない。

ふと、どうでもいい事を考えているんだよな、と我に帰る時はある。

主に授業の間は、教師の話を上の空で聞き流し、黒板に書かれた表記をノートにコピーして、暇が出来たら机やノートに落書きをするだけの学校生活である。それは、とても面白いとは言えなかった。

ただ一つ、そんな空間でも休み時間になれば、好きな小説を読むことが出来る。

それは幸福な事だ。学校と言う束縛された空間で好きが出来るのだから・・・。

そう思いつつも、次の瞬間にはそれを嫌悪する感覚も、海王は持ち合わせていた。

幸福は人を駄目にするという論理が、常に働いているからだ。

人は、少しくらいは貧しく乾いていた方がいいと思うのが僕だった。

自分が幸せを放棄する類の人間だとは予想しているし、現に、安楽に生きようとしない頑固さは直せるものでもなかった。

そして、そんな自分の生き方を滑稽だと感じながらも、誇らしく思うのである。

自分は、異常であろうと思う。

しかし、どのような事を考え反芻してみても、他人の心の奥底まで確信を持って見渡すことをしていない限り、それは所詮膨大なエゴの塊でしかない。

要するに、インナー・ワールドで生きているだけの人間だと思える。

自分というレンズを通して見た世界を言葉で整理してみて、そこで正当性のある選択をし続けているだけなのだ。誰も、正しいとか、優れているだなんて評価は出来るものではない。

所詮は、その評価した人間の内的世界に映し出された現実を反映しているに過ぎないからだ。

それ故人には感性の差が生じ、自己を他と差別する理念が生まれる。

誰が正しいのか?

それは、自分である。

誰しも、世界中の誰しもが、自分と言う正義の中で生き、時たまその道を外れて生きていく。

それが罪であるかどうかは、その人間の持つ正義と悪の対比が、現実として人間社会を形作る骨格として出来た『法』と、同質の物であったかどうかで決まる。

たった、それだけの事である。

だから、人は他人と判りあえない。自分の中の他人としか目を合わせられない生き物なのだから。

そんな事を考えるのは、何故だろうか。

いや、むしろ、何を考えているのだろうか?

僕は、疲れきった体を突き動かして、家に帰ろうと自転車のペダルを力いっぱい踏み込んでいる最中である。それは、もう何百回も繰り返された自問自答だった。

自分は、このところ感情の起伏が激しくなったと思う。

現に学校を出る時、自分の前に流れるようにして歩いてきた一人の女子の、太陽光を受けて美しく光る淡い茶色の髪の毛と、鼻腔を擽るような甘い匂い―――コロンか何かだろう―――を知覚した瞬間、明確な怒気と殺意を抱いた。

僕の女嫌いは今に始まった事ではないが、何故こうも嫌いなのかと思う瞬間、若いのだから、という言葉が突き刺さるように脳内に響いた。

『若い女がいい気になって装飾や化粧をするのは、許しがたい』

そう言葉にする事によって、今まで曖昧だった嫌悪感の意味が判った。

女性と言う生き物が嫌いなのではないとは判っていたが、不快感を抱く人間とそうでない人間の明確な境界が出来ていなかったのが今までの僕だとすれば、これは少しばかり嬉しい発見である。

そんな風に、学校の帰り道で自問自答に没頭し、他人を嫌う定義作りをする自分には心底嫌気がさした。

第一、死ね、だとか、殺す、なんて言葉は、思いつきでも使ってはいけない言葉だと言う昔からの持論を、簡単に破ってくれる自分とは、どういった変化の表れなのだろうか。

そういえば、前もこんな状態になったと思う。

確か、自分の運営しているサイトに、おかしな小説まがいの日記を書いた日も、こんな状態だった。

多重人格者なのではないかとさえ疑ってしまう程、自分の『妄想』は飛躍しすぎるのだ。

そんな事を考えていると、疲れているからだ、と言う言葉が浮かぶ。

疲れていると、どうなるのだろうか。精神が荒れてしまうのだろうか。

恐らく自分が多重人格者であると仮定してみると、中々説得力のある説明が出来る。

ほぼ、普段の自分として行動するベースとなっている人格は、酷く疲れ、眠ってしまっているのではないか。

そこで体を無理矢理動かすためには、今のような粗暴な人格の台頭を許さざるを得ないのではないか。

そう、僕がいつもこんな風に乱暴な言葉を使ったり考えたりする時は、疲れている時か、精神的に酷いショックを受けた後である場合が多い。

そうすると、自分の体と比べると、主人格とも呼べる普段の僕の精神的な力・・・霊的力は、酷く脆弱であるのではないだろうか。

体が動いているのに精神はもう動けなくなり、そこで、スペアの人格となるべき者が用意される。

それが、このやたらと怒りっぽくて、野蛮な性格の持ち主なのではないだろうか?

もしそうだとすれば、自分でも可笑しいと思う変貌の説明は、付く。

「多重人格者・・・。」

自分以外の誰にも聞かれないような小声で呟いてみる。が、自分がそうでない事は自分が一番よく知っている。

まして、専門的な知識も持たない少年の多重人格論など、どれほどの価値があろう。

単純に、スムーズな生活を送れない事に対するストレスや、予期せぬ事態に対応しきれない精神が不安定な状態になったりする事が原因で引き起こされる、一種の暴走状態であると考えた方が余程説得力がある。

夢見がちな少年なのだから、と思う。自棄気味に笑ってみるのだが、誰も見てはしない・・・。

ただ、現実逃避をしたいだけなのだ。それを、自分の表層的な意識の間に織り込む屈辱を見つけたくないだけに、そんな理屈を捏ね回すようなことをして自分を安心させようとする。

そこまで自分でわかってしまうのが、逆に世界の色彩をつまらないものにしていった。

僕の精神は、不安定なのだ。浮いているとき、沈んでいるとき、その反動は凄まじい。

家に着くと、自然と鏡を見る。

体育の水泳があったせいだろう。無造作に伸ばした髪の毛が四方八方に乱れ立ち、触らなくてもその質がキシキシと傷んでいるのが見て取れた。

アルバイトの用意をしなければならない。

と言っても、簡単に着替えるか、風呂で汗を流すか、寝るか・・・はたまた少しばかり遊びの時間に費やすか、しかやることがない。家を出るとき、さほど乱れた髪形をしていなければそれで良かった。

必要なものは、全てバイト先に置いてきているからだ。

僕は、いつもの指定席となっているパーソナル・コンピューターの前に座って、読みかけの小説を学校カバンから抜き出し、読み始めた。

内容は、僕のヒイキにしているアニメのシリーズとだけ言っておこう。

活字を見つめるのは、心が落ち着くし、教養にもなり得る。続きを読むのがテレビゲームのように億劫でもないし、読み終われば、元に位置にポンと置いておくだけですむし、スペースもとらない。

小説のなんと素晴らしい事か、と思い、時計を見やると、もう既に家を出てもおかしくない時間にさしかかろうとしていた。

せめてシャワーくらいは浴びて体中の塩素を流してやりたいとは思っていたが、小説に熱中しすぎてつぶれてしまった時間などは戻ってはこない。

苛立ちはするが、後悔する事はなかった。それは今の場合、無意味な行為だからだ。

少しでも腹に何かを入れていきたかったが、そんな物は見当たらないし、今更パンとかを焼いている時間もない。

水泳の後は決まって眠くなるのである。たった一分でも睡眠を取らなかった事に不安を覚え、すっかり私物化した小さな冷蔵庫に詰まった栄養ドリンクの一本をグイっと飲み干して、家を出た。

アルバイト先に着くのは、いつもすぐである。何せ家から五分と掛からない。

僕は店の奥にある「スタッフオンリー」とブロック体で書かれた横字を軽くノックして、バックヤードの中へと入る。

もう見飽きた自分のシフトに目を通す。今週は、変動もあったが月曜から金曜まで、学校のある日は必ずバイトが入っている状態だった。これを最初見たときには、血の気が引いた。

ただでさえ生活のリズムが不安定な僕が、毎日満足な昼寝もしないで生活していくのは、無理があるのだ。

土日は、学校がないのを良いことに遊びに出る予定が詰まっている。

果たして、保つのだろうかという不安があった。精神的に、である。

だが、やらなければならないという意識も、やりきれると言う根拠のない直感もあった。

往々にして、自己催眠であるとは意識しない。そんな気がする、と思うだけで違うものだ。

「まだ、火曜か・・・。」

日付とシフトの曜日を照合しての言葉である。

まだ、恐怖の五日間は、幕を開けたばかりと言える。

「いらっしゃいませ〜こんにちわー!」

とフロア全体に響く大声で叫びながら、バックルームを出た。六月に新調された新しい上着を着て、簡単に鏡で衣服の乱れがないか確認するだけで終わるの出勤前のチェックだ。

後は、レジで自分の名札の裏にあるバーコードをスキャンすれば、それで出勤登録が完了する。

僕は学校帰りの中学生や、駐車場でしゃがみ込んで話をしている高校生を見て、長い一日は始まったばかりだな、と思った。