その日は、僕が高校三年の二学期を終える、終業式の日だった。

集まった全校生徒は静まらずに、教師達の怒声がいくつも上がっては少しずつ静かになっていく。

そんな、いつも通り。入学以来幾度となく繰り返されてきた光景を半ば微笑ましく見ながら

僕はただ、流れる時間を感じて、一人体育館の片隅で震えていた。

周りには人。消えることのない喋り声や、膝を揺する音。

綺麗に整列しながら、僕の周りにいる人間の誰一人の体温も感じることが出来ない。

平成十八年十二月二十二日。

その日は、僕が高校三年の二学期を終える、終業式の日だった。








連続ネット小説   海王記

この物語はフィクションであり実在のいかなる
団体・個人とも一切関係ありません。

















「おはよう」
 いつもと同じ様子で教室へ入り、いつもと同じ友達と挨拶をする。繰り返された日常だが、今日が終業式と言う事もあってか、どこか皆の様子もいつもと違って見えた。いや、僕の目線がいつもと変わってしまったのかもしれない。
 思えば、これでもう「冬休み」とはお別れだ。高校生活をやり直す事はないし、もう二度と学生になる事もないだろう。友達と放課後残って話した事や、休み時間にトイレに行ったりバカ騒ぎした事。
 うんざりするほどの日常は、もう繰り返される事はないんだ。今までみたいに、来年は何年生だ。早く卒業したい。なんて考えている状態ではない。
 もう、最後なんだな。
 僕は何をするにも、そんな事を考えてしまっていた。机や椅子。掃除道具に至るまで。
 小学校に入学してから、形こそ違えどずっと使い続けてきたそれらは、或いはデスクになり、自分の仕事場になり、掃除機になるのだろう。
「あぁ、おはよう」
 こんな事を考えてしまっているのは、自分だけだろうか。他の人間に打ち明けた所で、共感する物なのだろうか。
 僕は、ただそう思うだけで、いつもと同じように椅子に座っていた。と思う。
 時間が経つにつれ少しずつ集まってくる生徒達を眺めながら、このうちの何人が「最後の年」を迎えることになるんだろうか、なんて考えていた。
 いつもは朝のショート・ホームルームが始まる合図のチャイムが鳴ると、放送が入った。
『全校集会を始めます。全校生徒は直ちに体育館に集合しなさい・・・。』




「終わったなぁ」
 誰かが言った。そう、終わりだ。だが、何が終わったのか?
 僕はその声の主のほうをぼんやりと見ながら、薄い言葉の意味を深く深くえぐっていた。
 二学期が終わり。勉強の苦痛からの開放。自由時間の始まり。そんな風に考えているに違いない。
「始まりだよ」
 と、小さく呟いたのを近くの席にいるヤツに聞かれた。「なにが?」と聞かれても、特に意味もなく言ってしまっただけの言葉を捜すのは難儀な事だった。
「全部さ」
 そういって窓の外を見ると、担任の教師が二十八人分の成績表と共にやってきた。辺りは騒然となって、皆自分の席に着いた。
 クラスの中の人間が退学届けを出した事。まだ皆で卒業出来る可能性は残されている事。そして、三学期は皆元気で学校に来る事。お得意の元気なトークの後は、笑顔で成績表授与式が行われたのだった。・・・そのうち何人が本当に笑顔を向けられていたのかはわからないが。
「はい、あんたすごいなあ」
 言いながら満面の笑みを、教師は浮かべた。僕はこの人が何を言いたいのか解ってたし、自分の事もよくわかっていたので成績表を受け取って、中身も確認せずに
「いや、まだまだですよ」
 と、言った。
 中身は、予想通り、目も当てられぬ数字の羅列になっていた。
「おいおい、どうしたん?」
 と、よく喋りかけてくるヤツが言った。他人の成績表をうれしそうに眺めるその横顔を見ながら、ふと思った。コイツは僕と三年間同じクラスで、最初から仲は悪くなかった。決定的な喧嘩もないし、毎日顔を合わせて喋っていたと言ってもいいだろう。こいつは友達だろうか。他人が見たらそうだと答えるだろう。
 僕はもう一度考えていた。こいつは友達だろうか。
「テスト前、風邪酷くて勉強できなかったからな」
 言い訳して、自分の席に戻る。
 卒業は出来るだろうから、いいか。それよりも三学期しっかりしないと、だめだ。
 ふと我に返って、考える。こんな事を考えて、成績一つで喜んだり落ち込んだりして、学校の中の事で悩んだり決意したりなんて、まるで―――
 ・・・・・・?
 まるで、なんだろう。僕は、考えた。『まるで、学生みたいじゃないか』
 僕は学生だ。
 それも、後十数回学校に来るまでの間でしかないが。



 放課後、二学期の用事が全て終わり、友人のいるクラスまで出向く。
『パァーっとカラオケでも行こう』と、誘われたのが一週間前。
 用事があったが、時間に間に合うように抜けると言う条件で承諾した。その詳細を聞くために一回集合すると言うわけだ。
 直接いくメンバー。一回家へ帰るメンバー。二手に分かれて、数時間後に合流する事になった。
 僕は直接いくメンバー。六人で行く予定だが、三人は帰る事になった。僕と二人はマクドナルドで喋りながら昼食を取る事になっている。
 一緒にいるのは楽しい事だし、遊びにいくのも一緒だ。学校以外で会う事は少ないが、学校以外で全く会わない人間よりはよっぽど多い。
 でも、この人達がもしいなくても、たぶん自分に大した影響はないんだろう、なんて、少し寂しい事も考えてみた。自分は誰も必要じゃないし、誰からも必要とされないのが、お似合いだ。
 いつもと変わらない、くだらないが掛け替えの無い時間を過ごした。もうこんな風に、一緒にカラオケへ来る事なんて無いかもしれない。あるかもしれないが。
 別段何を噛み締めるわけでもなく、いつもと同じようにして、僕は先に帰路へついた。
 夕方の五時ごろ。「17:00」と言う表示を見ると、今日はバイトが休みなのだという安心感に包まれる。普段はこの数字を見るのは、コンビニエンスストアのレジの中でだけだ。
 今日は『北斗さん』に誘われて出かける事になっていた。随分前から予定していた仮装パーティに出るらしいとの事で、僕はじっと連絡が来るのを待っていた。
 北斗、と言うのはもちろん本名ではない。だが、本名以上にそう呼んでいる方が遥かに多い為、こう呼んでいる。最後に名前で呼んだのは、いつだっただろうか?
 部屋に放り出された携帯電話が鳴る。その音は携帯サイトから拾ったり友達から貰ったりしたメロディや歌などではなく、最初から携帯に入っていた「パターン1」と表記されている音だ。
 無感動なその音にすばやく反応してディスプレイを見てみると、見慣れない兄の本名が表示されていた。一瞬、誰だか考えてしまう自分に内心苦笑を漏らしながら、通話回線を開く。
「もしもし?」
 仮装の為に必要だと言うサングラスを用意して、僕は一人雑然となった部屋を眺め回した。



「いらっしゃいませお客様。前へどうぞ」
 受付の男性が威勢よくそう言った。地下の一階。始めてくるような雰囲気に包まれ、僕は北斗さんと共に受付へと向かった。
 仮装パーティらしく、既に色々な格好をしている人達がいる。季節に肖ってサンタクロースらしい格好をした女性(と言ってもミニスカで胸前がはだけた如何わしい衣装だった)がそこらじゅうにひしめき、慣れ慣れしく声をかけてくる。
 空気に呑まれた、と思った。キラキラと、周囲を光の粒子で舐め続けるミラーボールや、その周囲で蠢く場慣れした人々の笑い声や、耳に痛いほど体の芯に伝わる大音量のBGMが、僕から冷静な判断力を奪っていくようだった。
 北斗さんは衣装に着替えるためにトイレの個室を利用する。途中から外へ出て、また薄暗いフロアを照らす蝋燭とミラーボールの中に身を預けて、壁にもたれていた。
 きっと僕は、飽和している。だからこんな風に、頭の中でまた、文章を構成しているんだ。そうでもしないと冷静な思考が働かない為の防衛本能なのか、それとも麻痺した頭脳と変換された気質からこういう趣味の男が出てきたのか?
 意味のない思考だった。それに気づいてからも止める事は出来ないでいた。
「どうぞ?」
 そういって、一人の女サンタがキラキラとした装飾を纏ったパーティハットを手に持って、こちらに差し出している。仮装をしない人は、どうぞこれで楽しくやってください。って所だろうか。
「あぁ、ありがとう」
 笑顔で受け取ってからも、その帽子をじっと見つめていた。
―――子供みたいだ。
 パーティというのは、こういう場所なんだろうか。僕がただそういう浮かれた雰囲気に慣れていないだけで、皆平気そうだ。
 浮かれておしゃべりして、皆楽しくワイワイ踊って。そういうのは、小さい子供のいる家か、アメリカみたいな家族ぐるみでパーティが大好きな種族だけだと思っていた。
 しかしどうやら、日本人はアメリカ人になりたいようだから、別にいいか。
 ここぞとばかりに洒落た格好をする人々を眺めまして、僕は一人考えていた。皆、楽しそうだ。踊っていても喋っていても、可笑しな格好を写真に収めていても。
 どうやら今日、この会場でこんな仏頂面をしているのは、僕だけかもしれないぞ。
 そう考えると、ますます浮かれている人達がわからなくなった。
 仮装パーティ。なぜこんな事をするのか、本来の風習を確か英語の授業で教わったはずだが、思い出せない。僕は視界の端々で意識に入り込んでくる女の人達を見ながら、反目し合う衝動をじゃれ付かせる様にして世界に没頭していた。
 見慣れない服装で出てきた北斗さんは、それこそ正に「仮装」していた。隣にいても、ふと気づいて一瞬誰だか解らなくなるほどだ。
 そんな自分に内心苦笑してみて、なんだ、僕も十分楽しんでいるじゃないか。と、そう思った。
 僕はパーティハットを被って、人ごみの群れの中に沈み込んでいった。




その日は、僕が高校三年の二学期を終える、終業式の日だった。

集まった大人達は静まらずに、若い男女のの笑い声がいくつも上がっては少しずつ静かになっていく。

そんな、非日常。生誕以来恐らく一度もお目に掛かっていない光景を半ば苦笑交じりに見ながら

僕はただ、流れる時間を感じて、一人会場の片隅で震えていた。

周りには人。消えることのない喋り声や、部屋を振るわせる暴音。

混雑に紛糾しながら、僕の周りにいる人間の誰一人の体温も感じることが出来ない。

平成十八年十二月二十二日。

その日は、僕が高校三年の二学期を終える、終業式の日だった。