週末に目が冴えてしまうのは、最早当たり前のことになっていた。

いつものように家へ帰り、夕食を食べ、風呂に入り、少しの暇を楽しんだ後は、寝る。

もうずっとずっと繰り返されたことだった。

最近は、それに育児と言う時間割が追加されたが、タイムスケジュールは概ね平常運行と言ってよかった。

そして今日もまた、布団に入る。

少し特殊であるのは明日が休日であるということだ。

そういう日はなかなか眠れない。

自分の中にある何かが引っ切り無しに叫ぶ声が聞こえる。

『もっと起きているのだ。寝ている場合ではない。今しかない。さぁ、起きろ、、、』と。

暫くして自分の声の意味を考えていると、だんだんとその主張もオーバーヒートする。

これも週末の常だった。

『なぜ、今こうしているのか、』だ。

それは人間にとって抗えない問答だろうと思う。

人の行動に理由はないはずだ。

全てのものに理由は考えられるが、真実の意味を導き出すことは出来ない。

何故ならば人は自分の意思で生まれないからだ。

誰かに産み落とされ、気づけば人生の只中にいる。

与えられた環境の中で観察し、学び、生きていく。

決して自分で欲したものではない。

そこに理由はないはずだ。と。

だから、いつだって自分はなぜ、今こうしているのか、わからないでいる・・・。

それは、誰かが教えてくれるのならば、生きる上で何よりも優先されるべき情報だ。

だがそれは、いつまでたっても判らないまま、僕はこうして眠れぬ夜を過ごしているのだった。








連続ネット小説   海王記

この物語はフィクションであり                
   実在のいかなる団体・個人とも一切関係ありません。










「っうわ!」
 布団を跳ね上げて悲鳴を上げた僕の目に映ったのは、生まれたばかりの我が子に乳をやる妻の姿だった。
「どうしたの?」
 心配そうな声を聞いて、現実に引き戻される。夢を見ていた訳ではないが、地獄へ続く螺旋階段を転げ落ちて止まらなくなり、ヘドロの中へと埋没していくかのような自我を現実と平行の位置で固定させてくれるには、十分な刺激だった。
 しかし、それが逆に安堵と困惑を生んだ。
 何も言えぬまま、まんまと自我との対話を脱げ出せた僥倖に感謝し、僕は浅い眠りに付いた。

『何故、死ぬのだろう』
 その幼稚な問いの答えを親から聞いて納得出来ない程、僕は大人になってしまっていた。
 毎夜でないにしろ僕を苦しめ続けた死への恐怖は、結婚と同時に徐々に表層意識と同化する頻度を減らしていったように思う。
 ただ、ふとした拍子にそこに嵌った途端、それはかつてない量の疑問符と恐怖を僕に叩き付けるようだった。
 人は忘れる生き物だ。
 全てを抱えきったまま生きていくことは出来ない。
 想像する事をやめるか、そもそもその疑問を忘れてしまう事こそが、僕に残された選択のように思えた。それを克服する手立ては、現在の人類には到達出来ていない。
 死とは、自我の完全なる忘却だろうと想像する。
 僕は僕を思えないで、何も見ず、何も聞こえず、触れず、考えない。
 それは何だろう?
 生きている間にそれを認識出来るとすれば、眠ることがそれにもっとも近い行動だろうか。
 気づけば朝になると信じ、人は眠りにつく。
 眠り、二度と起きない。
 言葉にすればそれだけの事だ。しかし、ふと訪れる巨大な恐怖は、そんな単純な答えを欲しているのではないと思えた。
『結局、どうする事も出来ない。この恐怖を思い出さぬよう生きることが、人が生きる意味だ』
 そう考えた。

 家の用事を片付けてから、妻と子が眠る部屋を後にしてパソコンのディスプレイと向き合う。
 毎週末の僕の基本的な過ごし方と言っていい空間だろう。
 そこで目にするものは少しの楽しみと義務感と、逃避だ。
 そうとも、限りない逃避を求めて僕はここにいるのに違いない。追いつかれないよう、思い出さないよう、責められぬよう、そして逃げ切るのだ。途方もない時間の流れからの逃避だ。
 深夜、家を出る。
 なんてことはない、夜食を買いに出て行くだけのことである。
 眠気を跳ね除け、堕楽に興じ、腹を空かせ、妻子を起こさぬよう家を出る。
『なんとも生き急いでいる』
 ここ最近は特に、そう自覚するようになった。
 死ぬことが最も恐ろしい出来事だとするならば、こうして毎週のように体を苛めて束の間の享楽を手に入れ、そしてまた陽が昇れば、次の仕事が始まる憂鬱と戦う日がやってくる。
 仕方がない、仕方がないと。人生を上手く運ぶ為の諦めの呪詛を唱えながら会社へ行き、一週間を乗り切ればまたこうして体を酷使するのだ。
 そしていつか、死ぬ。
 そうする事で僕は、自身を死に追いやる事を止められないでいるのだ。
 死ぬことが最も恐ろしい出来事だとするならば・・・そう、この瞬間こそが僕が生を感じられる瞬間だ。
 間違いなく死に向かう感覚。
 いや僕だけじゃないはずだ、きっと、みんな。



 そうして陽が昇った。
 小用を足しにトイレへと向かえば、妻が起きて家事を始めていた。
 赤子の世話に掛かりきりで普段中々眠れないでいる妻は疲れて見えた。束の間、僕も居間で横になる。
「寝るんなら布団に入りなよ」
 と言う声を聞きながら、耳ははっきりと自分の鼓動を感じていた。
『ドクン、ドクン、ドクン』
 これは普段耳にすることのないほど大きな音が鳴っているのだ。
 僕は意識を集中した。
『ドクン、ドクン、ドクン』
 この鼓動は、肉の塊が血を廻らせる為に行う収縮運動だ。力強く、一定のリズムを保っている。
 僕の意思と関係なく。
 生まれる前から、一定のリズムを保っている。
「死ぬって言う事は、心臓が止まっちゃうって事なんだよ」
 ああ、そういう事で納得していた自分を思い出した。
 そうして、僕は浅い眠りに付いた。